大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所大法廷 昭和34年(あ)125号 判決

主文

本件上告を棄却する。

理由

一  弁護人山田弘之助の上告趣意について。

所論第一点は違憲をいうが、実質は単なる法令違反の主張であって刑訴四〇五条の上告理由に当らない。

同第二点は判例違反をいうが、論旨引用の最高裁判所の各判例は、本件とは事案および適用法規を異にし、本件には適切でない。それ故、所論は前提を欠くものであって、採るを得ない。

同第三点は判例違反をいうが、原判決が論旨引用の昭和三三年一二月二三日言渡の東京高等裁判所の判例に違反するものであることは所論のとおりである。(論旨引用の昭和三四年一月二九日言渡の東京高等裁判所の判決は、本件原判決言渡後のものであるから、刑訴四〇五条三号の判例には当らない。)しかし、当裁判所は次に述べるとおり、職権により調査し、本件は、刑訴三三七条二号により被告人を免訴すべきものに該当しないとの判断に到達した。それ故、論旨引用の前記判例は、本件判決により変更されることとなるものである。されば、所論判例違反の主張は、採ることを得ない。

二  当裁判所は、職権により、次のとおり判断する。

(一)  本件公訴事実は、被告人は法定の除外事由がないのに、昭和三二年一〇月一九日午前一〇時一五分頃、長岡市千手町一丁目六三一番地先附近道路において、第二種原動機付自転車の後部荷台に石田敏雄(当時二六才)を乗車させて運転進行したものであるというのであり、右は、本件行為当時の道路交通取締法施行令四一条による旧新潟県道路交通取締規則(昭和三一年新潟県公安委員会規則第一号)八条の制限に違反したものであることが明らかである。しかし、右取締規則は昭和三三年四月一五日新潟県公安委員会規則第二号(同日施行)をもって全面的に改正され、その改正規則九条において、第二種原動機付自転車は除外され、本件のごとき場合は、その取締の対象にならないことになったのである。よって、この場合において、前記新潟県公安委員会規則の改正が、犯罪後の法令による刑の廃止に当るものとして、刑訴三三七条二号により、被告人を免訴すべきものであるか否かにつき考えてみる。

(二)  道路交通取締法二三条一項は「諸車の乗車、積載又はけん引の制限について必要な事項は、命令でこれを定める」と規定し、同三〇条は「……第二十三条第一項……の規定に基く命令には、三千円以下の罰金又は科料の罰則を設けることができる」と定めており、右法律の委任に基づいて道路交通取締法施行令(昭和二八年八月三一日政令第二六一号、同二九年六月三〇日政令第一八一号五条)四一条は「公安委員会は、自動車(そのけん引する諸車を含む。)及び前条第一項の荷車以外の諸車につき、道路における危険防止その他の交通の安全を図るため必要と認める乗車人員又は積載重量若しくは積載容量の制限を定めることができる」と規定し、同令七二条は「左の各号の一に該当する者は、三千円以下の罰金又は科料に処する」と規定して、同条三号に「……第四十一条……の規定に基く公安委員会の制限……に違反した者」と定めており、そして、右施行令四一条の委任に基づいて、新潟県公安委員会規則により新潟県道路交通取締規則が定められ、それが本件犯行後昭和三三年四月改正されたものであることは前に述べたとおりである。

(三)  そこで、前記道路交通取締法、同施行令の規定ならびに前記新潟県公安委員会規則および同規則の改正の関係をみると、道路交通取締法は、道路における危険防止およびその他の交通の安全を図ることを目的とするが(同法一条)、道路交通事情の実体に照らし、これがため必要な道路交通の規制の具体的内容をすべて法律または政令に規定することは適当でなく、その基本的な事項はこれを法律および政令において定めたが、実施上の細則的な具体的内容は、これを地方の実状に即応して定めることが妥当であるとの見地から、地方の実状に通ずる公安委員会の判断に委かせることとしたものに外ならない。すなわち、公安委員会は、前記法律、政令の範囲内において、その時々の実状に応じ、或いは制限を強化し、或いはこれを緩和し、必要かつ適切な道路交通の制限を実施することを委かされているのであって、前記施行令四一条は、公安委員会の定める制限が、その時々の必要により、適宜変更あるべきことを当然予想し、同七二条は、行為当時の制限に違反する行為を(その違反行為の後において、右公安委員会の定めた制限の具体的内容が、その時々の必要により変更されると否とにかかわりなく)可罰性あるものとして処罰することとし、もって道路交通取締法一条の目的を達成しようとしたものと解するを相当とする。このことは、前記施行令七二条三号が、同令三二条もしくは四〇条三項の規定に基づく制限または四二条四項の規定に基づく警察署長の処分に違反した者を、同様に処罰している点からも窺うことができる。そして、このように解しても、それは道路交通取締行政の実状と、それを考慮して定められた前記法律、政令、規則の法意とからみて、敢えて罪刑法定主義に反するものというべきものではない。また、前記施行令四一条、七二条を前記のごとき趣旨のものと解する以上、右公安委員会の規則を、右四一条の規定を具体的に充足する意味において、法規的性質を有するものであると解するとしても、この一事をもって、前記四一条、七二条の規定が空白刑法的のものであるということにはならない。

(四)  されば、道路交通取締法二三条一項、三〇条、同施行令四一条、七二条が、本件行為の後において改廃されなかった以上、たとえ右施行令四一条の委任により公安委員会の定めた規則に改正があったとしても、前記法律、政令、規則が(三)に述べたような性質のものであるから、右道路交通取締法、同施行令の罰則規定は依然存続していたものといわねばならない。そして、その後、道路交通取締法、同施行令を廃止して新らたに制定された道路交通法(昭和三五年法律第一〇五号)の附則一四条は、新法の施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例によるとしているのであるから、その限度において道路交通取締法、同施行令の罰則規定はなお有効であって、本件違反行為の可罰性は、今日に至るまで終始かわるところがないと解すべきである。

(五)  それ故、本件においては、前述新潟県公安委員会規則の改正をもって、本件行為につき、刑訴三三七条二号により犯罪後刑の廃止があったとして被告人を免訴すべきものとは認められず、原判決は結局において正当である。

三  よって、刑訴四一〇条二項、四一四条、三九六条により、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官藤田八郎、同河村又介、同垂水克己、同河村大助、同奥野健一、同高木常七の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官垂水克己の反対意見は次のとおりである。

多数意見は、本件公安委員会規則を一の処分とみたようでもあり、限時法とみたようでもあり、また、取締法施行令四一条、七二条三号の規定には先天的に公安委員会規則の改廃に拘らず一旦同規則に違反した者はその規則廃止後もなお処罰を免れないという特別の法意が含まれているとするようでもあるが、私は賛成できない。私は本件旧規則八条が改正規則で廃止された以上、刑の廃止があったとして本件については免訴の判決をすべきだと考える。

1 刑の廃止 刑訴三三七条二号は、「犯罪後の法令により刑が廃止されたときは、判決で免訴の言渡をしなければならない」という。刑の廃止とは刑罰法規の廃止を意味する。免訴の判決とは廃止された刑罰法規が効力を有した当時これに触れた行為はその廃止後には最早やこれを訴追して有罪無罪の実体裁判をすることを許さない、最早やお構いなしとされている、という意味の形式的判決である。

刑罰法規に該当する行為が行われた途端に国は一種の具体的刑罰請求権を取得するが、具体的刑罰請求権が発生したか否か及びその範囲(刑の分量)如何は刑事訴訟によってのみ確定される。一旦発生したこの具体的刑罰請求権は行為後当該刑罰法規が廃止されたからといって当然消滅するのではない。だから、刑訴法同条同号は「無罪の言渡をせよ」とはいわない。

刑罰法規の廃止は、事物に対する法の基本的イデオロギーの革新に由来する場合がある。検閲を経ないで上映した罪や刑法一八三条の罪の如きであって、この場合は、刑罰法規廃止後これを処罰することはそれ自体新時代の憲法のイデオロギーに反するから許さるべきでない。それ程でなくとも、刑罰法規の改廃は、社会事情の変化によるというよりは立法の主義、政策の進歩、改善による場合もあろうが、以上すべての場合について、苟くも刑罰法規が廃止された以上は、特別の明文なきかぎり、その一事をもって廃止前の刑罰法規による有罪無罪の判決をせず、免訴の判決をせよというのが刑訴三三七条二号である。

しかし、廃止前の刑罰法規に触れた犯罪者に対し国は刑罰請求権を有すること前示の通りであるから、廃止の際の経過法においてすでに右旧法時にこれに違反したすべての者に対する処罰については、なお、旧刑罰法規により有罪判決をなしうべき旨を定めても失当ではない。この積極的明文立法があったときは免訴判決をしてはならないのである。

また、刑罰法規廃止の際の経過法でなく、刑罰法規立法の際、初めから「本法施行中に行われた犯罪の処罰については本法廃止後にもなお本法により処罰できる」旨の規定を立法できない訳ではない。いわゆる限時法はそういう法規なのである。

2 限時法 私は限時法とは、ドイツ刑法一九三五年六月二八日改正法律二条a三項「一定ノ期間ノ為ニノミ公布セラレタル法律ハ其ノ施行中ニ行ハレタル犯行ニ対シテ其ノ効力ヲ失ヒタル後ニオイテモコレヲ適用ス」というような法律をいい、そのいわゆる「一定ノ期間ノ為ニノミ公布セラレタル法律」とは、その理由書のいう「予め暦に従い又はその他の方法で一定の期間だけについて公布せられたもの」と解すべきだと思う。さもなくては国民の権利関係は明確にならない(一九三〇年イタリヤ刑法二条四項、一九三二年ポーランド刑法二条三項、一九三六年ルーマニア刑法三条も同様のようである)。

もちろん、論理上は、特別明文がなくても限時法であることが明らかな場合は限時法と解してもよい訳であるが、試みに「本件公安委員会改正規則は何年後に廃止されるのか」と裁判官または新潟県公安委員会委員等に尋ねるなら、その答は恐らく区々であろう。廃止されたか否かがかようにあいまいな法律に国民を服せしむべきでない。国会が刑罰法規施行中に行われたこれに触れる犯行をその廃止後にもなお処罰すべきものと考えるなら、すべからく立法当初から右ドイツ法のような明文を設けるか、または、刑罰法規廃止の際に「その施行当時行われた犯行の処罰についてはなお従前の例による」というような経過規定を設けるべきであり、国会は欲するなら容易にこれを設けることができるのである。本件は限時法ではない。

3 本件刑罰法規 本件施行令四一条は「公安委員会は、……諸車につき……乗車人員……の制限を定めることができる。」同令七二条は「左の各号の一に該当する者は、三千円以下の罰金……に処する。三号……四一条の規定に基く公安委員会の制限……に違反した者」と定め、人員の制限を公安委員会規則に委任している。すなわち、同令四一条、七二条三号は法的犯罪構成要件の一部は公安委員会規則によって補充されるべきものとする一の空白刑法であるから、施行令四一条及び七二条三号だけでは幾人以上の乗車が罪となるかは全然不明な、罪となるべき行為を示さないもの、充全の刑罰法規とはいえないものである。本件公安委員会旧規則八条の如く「二人以上乗車してはならない。但し……はこの限りではない。」との規定が設けられて右施行令四一条、七二条三号の空白刑罰規定は、始めて、新潟県では、画竜点晴、補充されて充全の刑罰法令となり、その内右施行令四一条違反行為の内容は明確となり、これを処罰しうるに至るのである。

本件旧規則八条は「二人以上乗車してはならない」と表現するが正確にいえば「令四一条により、道路における原動機付自転車……についての乗車人員の制限は一人とする。但し……」とすべきであった、といえよう。とにかく、本件規則八条はそれ自体で「すべし、すべからず」と定めた命令もしくは禁止の規則ではない。けれども、同規則八条は、処分ではなく、新潟県で公布され一般人に適用をみる抽象的法規範であって、公安委員会がかような制限規則を設けることによって施行令七二条三号、四一条が補充され、その結果新潟県では二人乗車が施行令四一条違反となり同令七二条三号によって処罰される効力を生ずるのであり、本件旧規則八条は、まさにそのような法律効果をねらって制限を設定し、本件改正規則はかような法律効果の消滅を期して制限を撤去したものである。だからこれは処分とは異る。

なる程、行為ないし事実によって犯罪構成要件が充足されると犯罪が成立し、その事実がなくなると犯罪の不成立を来たす。例えば、「諸車は安全地帯を通過してはならない」という施行令一二条、七二条二号(罰則)違反の罪は安全地帯設置という事実があって始めて犯されうる、安全地帯の撤去により犯しえなくなる。けれども或る個所での安全地帯の設置はいくら十数年継続しても一の現実具体的の行為(事実)に過ぎない。これと異り、本件旧規則八条は施行令四一条、七二条三号の空白を補充することによりこの施行令の規定の抽象的犯罪構成要件を充足して刑罰規定たる効果を生ぜしめるものであり、また、本件改正規則は第二種原動機付自転車について二人乗の制限を撤去することにより法律上二人乗を犯罪とならないものとし、施行令四一条、七二条三号をしてこの所為について刑罰規定たる効力を失わしめるものである。若し本件規則を処分だとすれば行為者がこの処分の存在を知らない場合には犯意なしということになり「法の不知」とはいえなくなるであろう。そして犯罪事実の認定としては「被告人は本件規則八条により二人乗を制限されていることを知りながら」これこれの所為に及んだという事実を記載しなければならなくなろう。

多数意見(三)は「施行令七二条三号が、同令三二条もしくは四〇条三項に基づく制限又は四二条四項に基づく警察署長の処分に違反した者を同様に処罰している点からも窺うことができる」というけれども、基本法たる取締法の二八条は、同法七条一項違反の無謀操縦罪に対すると同一の法定刑を、同法二三条二項の現実具体的場合における警察官の停止又は指示に従わない行為に対して科すべきことを定めているではないか。だからといって、かような停止や指示は法律の規定と同一視できるとはいえまい(尤も、多数意見としては、この判示部分はさして有力な論拠としているとは思わないが)。

すなわち、施行令四一条、七二条三号が存するだけでは何処の県でも原動機付自転車への二人乗行為は罪とならない。新潟県で本件旧規則八条が設けられて始めて同県では第一種、第二種原動機付自転車二人乗が右施行令の条規違反の罪となる。そして、本件規則改正による第二種原動機付自転車二人乗の制限の撤廃によって同令同条違反罪は成立しえなくなる。すなわち、第二種原動機付自転車への二人乗行為を制限する同令同条、旧規則八条の罰則規定は刑訴法三三七条二号にいう「廃止」になったのであると解するのが正当である。

多数意見(職権判断の(一))は「本件旧規則は本件犯行後昭和三三年四月一五日同委員会規則をもって全面的に改正されその規則九条において第二種原動機付自転車は除外され本件のごとき場合は、その取締の対象にならないことになった」旨判示する。が、それでも刑の廃止にならないとする理由としては「施行令四一条は公安委員会の定める制限がその時々の必要により、適宜変更あるべきことを当然予想し、同七二条は行為当時の制限に違反する行為を(その違反行為の後において、右公安委員会の定めた制限の具体的内容が、その時々の必要により変更されると否とにかかわりなく)可罰性あるものとして処罰することとしたものと解するを相当とする」旨説示する。つまり、施行令の右規定には、先天的に、公安委員会規則はその施行中に行われた違反者に対する関係では廃止後にもなお効力を持続するというような特別の趣旨が含まれている、というようでもある。そういって終えば問答無用かも知れぬ、が、私は、施行令の明文がないのに、かような異例の趣旨に解することは無理だと信ずる。それにしても、本件行為を施行令七二条三号、四一条によって有罪として処断するには、本件行為が(すでに違反した者達に対する関係ではなお生きているという)本件旧規則八条に該当するという擬律をしない訳にはいかない筋合である。

4 近時交通に関する犯罪の激増と悪質化の傾向は、国民をして、本件のような細則に違反する軽微犯罪を含めて厳にこれを取締る必要を痛感せしめつつあるが、その処罰の方法は刑訴法に従うべく、法律問題としてみるならば、本件は刑訴三三七条二号により免訴すべきことは明らかである。

裁判官河村大助の反対意見は次のとおりである。

刑罰法規において、犯罪構成要件規定を他の法令に委任した場合、その委任された法令で定めた構成要件規定が、廃止又は変更された場合においては、たとえ、その基本の刑罰法規自体は、依然その効力を保持していても、右構成要件規定の廃止又は変更により、禁止から除外された行為は、爾後処罰の対象とならない行為となったものとして、当該行為については、刑の廃止があったものと解するを相当とする。

本件においては旧道路交通取締法(以下道交法と略称)、同施行令(以下道交令と略称)の委任に基づく新潟県公安委員会の道路交通取締規則により、道路において「原動機付自転車に二人以上乗車することを禁止」した規定が、昭和三三年四月一五日同委員会の規則改正により、「第二種原動機付自転車二人乗りの禁止」は解除され、その結果、従来道交令により処罰された右行為が、処罰されなくなったのである(関係法令の内容及びその経過は多数意見参照)。かくの如く、公安委員会の規則により従来禁止されていた行為が自由な行為として何等犯罪を構成しなくなったことにより、その行為に関する限り刑の廃止があったものと言えるかどうか。当裁判所大法廷は、さきに関税法違反事件(昭和三二年一〇月九日言渡)につき、北緯三〇度以南の南西諸島口の島は旧関税法の委任による「大蔵省令によって関税法の適用については、外国とみなされていたのであるが、昭和二七年二月六日右大蔵省令の改正により右地域は外国とみなされなくなり、本邦の地域とせられることとなった、従って同日以後は、本件公訴事実のような右地域から税関の免許を受けないで貨物を輸入することは、右大蔵省令改正の結果として何等犯罪を構成しないものとなったのであって、これによって右行為の可罰性は失われたものというべく、本件は刑訴第三三七条二号にいう犯罪後の法令により刑が廃止されたときに該当するものと解しなければならない」と判示し、被告人に免訴の言渡をしたのである(集一一巻一〇号)。わたくしは、この判決の判断は正当であって、今日においてもこの見解を支持するものである。これを本件に比べて見ると、事案を異にするとはいえ、刑罰法規及びその委任の立法形式は同一類型に属し、いずれも基本法規の委任に基づく構成要件規定に変更を生じたことに変りはない。従って前記判例を尊重する限り右判例に従い、本件の「第二種原動機付自転車の二人乗り」についても、可罰性が失われたものと解するを相当とする。

然るに多数意見は、道交法、道交令が本件行為の後において改廃されなかった以上、たとえ右道交令の委任により公安委員会の定めた規則に改正があったとしても、罰則規定は依然存続し、本件違反行為の可罰性は、今日に至るまで終始かわることがない、というにある。そこで問題の委員会規則第八条の「令第四一条の規定により、道路において原動機付自転車及び二輪の自転車に二人以上乗車してはならない」との規定の改廃があっても、その改廃によって右規定から除外された行為の可罰性は失われないと言えるかどうか、及び右規定で補充された道交令第七二条三号の刑罰法規が、限時法的性格を有するかどうかの二点について考察する。

道交令第四一条の委任に基づき制定された新潟県公安委員会の道路交通取締規則(公安委員会規則)は、警察法第三八条四項による委員会の規則制定権に基づき、一般的抽象的な法形式をもって定立した法規であり、右規則第八条は道交令第七二条三号の公安委員会の制限に違反した者は、三千円以下の罰金又は科料に処する旨の、白地刑罰法規を補充するために定められた犯罪の構成要件規定であると解する。従って前記委員会の規則の改正により、その構成要件に変更を生じ、「第二種原動機付自転車の二人乗り」が処罰の対象とならなくなった場合は、当該行為に関する限り、爾後自由な行為として開放されたものであるから、その行為の可罰性は失われたものと解するを相当とし、単に制限の具体的内容に変更があったに過ぎないものとして、行為の可罰性は依然存続するものと解すべきではない。けだし刑法第六条の規定は、犯罪後の法令により犯罪の構成要件並びに罰則が変更されたときは、被告人の有利な規定による旨の原則を定めたものであって、これを刑訴第三三七条二号と併せ考えれば、従前処罰された行為が、処罰の対象から除外されたときは、当該行為につき刑の廃止があったものと解するを相当とするからである。

次は限時法的性格の有無であるが、構成要件規定で補充された本件刑罰法規は、施行期間が予め明定されていないから、所謂純正限時法でないことは明らかであり、また改正前の行為は従前通り処罰する旨の経過規定も存しない。問題はこの刑罰法規が、限時法に準ずる臨時的なものであるかどうかであるが、道交法ないし道交令が、都道府県公安委員会に規則制定の権限を委任している所以のものは、各地域の具体的事情に応じ適切な制限を設けさせる必要があるからであって、この意味からすれば、事態によっては、臨時的措置をとる必要のある場合も起り得ることは明らかである。しかし、その措置に対応する事態にして近く変化することの予見できない性質のものは、概ね委員会規則に禁止規定を明定することになるであろうし、現に本件の規則改正前において「第二種原動機付自転車の二人乗り」は、これを除外されることが予見できたと認むべき客観的の資料は存在しない。のみならず、本件改正前の規則は、その改正まで二年有余に亘り実施されていた事実に徴しても、当初臨時的な禁止規定として成立したものでないことは明らかである。況んや交通事情の変更により「第二種原動機付自転車の二人乗り」は禁止を解かれるであろうという事情は、客観的に明白な形で現われるものでないから、刑の廃止を予想して違反行為が激増するという事態は考えられない。従って本件のような刑罰法規を限時法的性格をもつものの如く見ることは正当でない。

以上の理由により本件第二種原動機付自転車の二人乗りを禁止し、これに違反する者を処罰する刑罰法規は既に廃止されたものと解すべきであるから、本件被告人に対して刑訴第三三七条二号を適用し免訴の言渡をなすべきものである。よって原判決は破棄を免れない。

裁判官奥野健一の反対意見は次のとおりである。

およそ犯罪を処罰するためには、犯罪行為の当時刑罰法規の存在することを要することは勿論であるが、処罰当時すなわち裁判当時においても刑罰法規の存することを要することが原則である。刑罰法規は行為規範であると同時に裁判規範でもあると解すべきであって、裁判当時既に刑罰規定が廃止せられている場合は最早その行為を処罰することができないのであり、刑訴法三三七条二号はこの法理を明らかにしたものということができる。

本件につきこれを見るに、道路交通取締法二三条一項は「諸車の乗車、積載又はけん引の制限について必要な事項は、命令でこれを定める」と規定し、同三〇条には、右二三条に基づく命令には三千円以下の罰金又は科料の罰則を設けることができる旨規定する。そして右法律の委任に基づいて同法施行令四一条は「公安委員会は……乗車人員又は積載重量若しくは積載容量の制限を定めることができる」と規定し、更に同令七二条は「左の各号の一に該当する者は三千円以下の罰金又は科料に処する」と規定して、同条三号に「……第四十一条……の規定に基く公安委員会の制限に違反した者」と規定している。これによれば、公安委員会により乗車人員等の制限の定がなされて始めて、右七二条三号及び本文により処罰さるべき犯罪構成要件が確定するのであって、右公安委員会が右制限の定をしない限り右七二条三号に関する罰則規定は働かないのである。言い換れば、公安委員会の制限規定と右七二条本文とが相俟って始めて一の完全な刑罰規範となるのであり、従って公安委員会の定める制限規定が廃止変更されたときは、その制限規定を内容とする右七二条三号の罰則規定自体が廃止変更されたことになるわけである。これを本件について具体的に説明すれば、昭和三一年一月一日新潟県公安委員会規則第一号八条においては「令四一条の規定により、道路において原動機付自転車及び二輪の自転車に二人以上乗車してはならない。云々」と規定していたのであるが、右規定は昭和三三年四月一五日同委員会規則第二号九条により「道路において第一種原動機付自転車又は一人乗り二輪自転車の運転者は、他人を乗車させてはならない。云々」と改正されたのである。その結果は二種原動機付自転車については二人乗は禁止されないことになったのである。すなわち、従前は一般に二人乗車を禁止し、これに違反した者を処罰する法令が改正されて、二種原動機付自転車については二人乗は禁止されないことになり、これに関する罰則規定は廃止されたのである。従って本件は正に犯罪後刑罰法規の変更の結果、刑の廃止された場合に該当するものというべきである。

そして、前記施行令四一条の委任により公安委員会の定めた本件制限規定は警察法三八条による公安委員会の固有の規則制定権に基づいてなす法規範の制定である。従って一種の立法であり、不特定多数人に対する規律を内容とする法規であって、単なる犯罪構成要件たる事実をなす一の行政処分ではないのである。すなわち、右規則は前述の如く前記施行令七二条三号の犯罪構成要件を規定する刑罰法規の一部分をなすものであり、その改廃はその規則を内容とする施行令七二条三号の刑罰法規自体の改廃となるのである。故に右制限規定が廃止になっても右施行令七二条自体がそのまま残存しているからといって、右規則を内容とする罰則規定に関する限り、それは内容のない形骸に過ぎないのであるから、前記二人乗禁止の可罰性は変らないということはできないことは極めて明白である。(昭和二五年(あ)二七七八号昭和三二年一〇月九日大法廷判決、集一一巻一〇号二四九七頁参照)

いわゆる限時法とは、一定の期間施行するため発せられた法令であって、裁判当時既に失効している場合でもその法令の施行期間中に行われた犯罪に対してその適用ありとするものである。しかし法令が既に失効した後、なおその法令によって処罰する必要があるならば、宜しくその旨の経過規定を設くべきであり、かかる経過規定もなくして失効した法令により処罰せんとすることは罪刑法定主義又は成文刑法主義の重大な例外をなすものであるから、限時法なるものを是認するとしても極めて明白にその法令自体の性格からその趣旨が認められる場合に限定さるべきであると考える。単にかかる経過法規を設けることが立法技術上困難であるとか、立法者の主観的動機がそうであったとか又は法令に「臨時」とか「当分の間」などの文句が附せられているとかというような理由だけで、たやすく限時法令と断ずべきではない。道路交通取締法施行令四一条に基づく公安委員会の制限に関する本件規則には、当初から一定の有効期間が定められておらず、従って純粋な意味において限時法令でないことは明白であるが、実質的に限時法的性格を有するものと解し得るか否かを検討するに、右施行令が公安委員会に乗車人員、積載重量、積載容量の制限を規定する権限を委任した所以のものは、各地域の具体的事情に応じ、かつ事情の変更に応じた適切な措置を採らせようとするにあることは疑を容れないところであり、又道路事情、交通事情は日時の経過と共に変化することは予見されるところではあるが、だからといって公安委員会の本件規則が単に一時の目的のため制定されるものと解すべき根拠はなく、少くとも事情の変更しない限り、恒久的なものとして制定されたものと解するのが相当である。すなわち交通の安全上その必要の存する限り右規定の存続を予定されたものと解すべきである。そして事情の変化により法令が改廃さるべきことは一般法令の共通の性質であって、これを以って直ちに限時法令と認める根拠とすることはできない。然らば本件公安委員会規則が当初から有効期間を定めたものでもなく、また失効後なお従前の規定を適用する旨の経過規定も設けていない(道路交通法(昭和三五年法律第一〇五号)附則一四条によっても、その施行前既に廃止となった本件規則第一号八条による罰則規定を適用することは不可能である)のであり、また本件規則の性格からも限時法令と解することはできないのであるから、前記二人乗車を禁止し、これを処罰する法規は既に廃止されたものと断ずるの外なく、従って、その廃止された刑罰法規によって有罪とすることはできないのであるから、本件は刑訴法三三七条二号により免訴の言渡をなすべきである。それ故、原判決を破棄し、被告人を免訴すべきものである。

裁判官藤田八郎、同河村又介は右奥野裁判官の反対意見に同調する。

裁判官高木常七の反対意見は次のとおりである。

本件公訴事実は、「被告人は法定の除外事由がないのに、昭和三二年一〇月一九日午前一〇時一五分頃、長岡市千手町一丁目六三一番地先附近道路において、第二種原動機付自転車の後部荷台に石田敏雄(当時二六才)を乗車させて運転進行した」というのである。

被告人の右行為は、その行為当時に施行されていた道路交通取締法二三条一項、道路交通取締法施行令四一条による新潟県道路交通取締規則(昭和三一年新潟県公安委員会規則第一号)八条の制限に違反することは明らかであるが、右取締規則は、昭和三三年四月一五日同委員会規則第二号(同日施行)をもって改正され、その改正規則九条において、本件の如き第二種原動機付自転車は、その制限から除外された結果、被告人の右行為は、もはや処罰の対象にはならなくなったのである。

かような場合は、右新潟県公安委員会規則の改正は、犯罪後の法令によって刑の廃止があった場合に該当するのであるから、刑訴三三七条二号により、被告人は免訴さるべきであり、これを有罪とした原判決は破棄を免れないとするのが、多数意見に対するわたくしの反対意見の結論である。

(一) 多数意見の立論の根拠は、「本件被告人の行為に適用すべき道路交通取締法施行令四一条、七二条は、いわゆる空白刑罰法規ではない」というにあって、従って、同令四一条による旧新潟県道路交通取締規則がたとえ改正され、本件第二種原動機付自転車がその制限から除外されても、右施行令が改正されないかぎり、右公安委員会の取締規則の改正前に犯された本件被告人の行為を処罰するには、なんの影響もない、というのである。

なるほど、右道路交通取締法施行令四一条、七二条が、空白刑罰法規でないとの立場をとるからには、右のような結論に到達するのは当然であろう。けれども、わたくしは、多数意見の右の立場には、にわかに同調することはできない。なぜなら、いうところの右各法条を見るのに、その道路交通取締法施行令四一条には、ただ単に、

「公安委員会は、自動車(そのけん引する諸車を含む)及び前条第一項の荷車以外の諸車につき、道路における危険防止その他の交通の安全を図るため必要と認める乗車人員又は積載重量若しくは積載容量の制限を定めることができる」

とあり、また同七二条には、

「左の各号の一に該当する者は、三千円以下の罰金又は科料に処する。

三……第四十一条……の規定に基く公安委員会の制限……に違反した者」

とあるだけであって、具体的に、いかなる制限に違反すれば処罰されるのであるか、全然これを明らかにせず、その構成要件規定は、挙げてこれを公安委員会の定めるところに一任しているのである。

これを本件についていえば、本件の被告人は「第二種原動機付自転車の後部荷台に石田某を乗せて運転走行した」というのであるが、このような行為が、なぜ処罰されなければならないのであるか、右施行令四一条、七二条を以ってしては、未だもって理解することができないのであり、それの理解は、同令の委任に基づく旧新潟県道路交通取締規則八条の

「令四十一条の規定により、道路において原動機付自転車及び二輪の自転車に二人以上乗車してはならない」

との規定を俟って、始めて可能になるからである。

してみれば、右道路交通取締法施行令四一条、七二条は、いまだ以って本件被告人の如き行為につき罪刑を法定したものとはいえず、その委任による公安委員会の規則を俟って始めて実動的となり、かつ規範としての十全の姿を具足するに至るのであるから、右法条の空白性は疑うべくもない。

なお、この機会に附言すれば、右公安委員会規則は、警察法三八条四項にいわゆる「都道府県公安委員会は、その権限に属する事務に関し、法令又は条例の特別の委任に基いて、都道府県公安委員会規則を制定することができる」との規定に基づく公安委員会固有の規則制定権に由来するのであって、単なる行政処分と同視さるべきものではないのである。

ところで本件においては、右新潟県道路交通取締規則は、昭和三三年四月一五日新潟県公安委員会規則第二号(同日施行)をもって全面的に改正され、本件のような第二種原動機付自転車は、その制限から除外され、取締の対象とならなくなったものであることは前述のとおりであるから、被告人の本件行為は、行為当時の取締規則をもってするならばとにかく、現行の取締規則では、もはや処罰されないことになったのであり、かかる場合は、刑訴三三七条二号のいわゆる「犯罪後の法令により、刑が廃止された場合」に当るものと解するのが相当である。

(二) 尤も、右道路交通取締法施行令四一条、七二条が、たとえ公安委員会規則の制定を俟って実動する空白刑罰法規であるとしても、これら法条がもし限時法もしくは限時法的性格をもつものであるとすれば、右の結論はおのずから別のものとならざるを得ない。

けれども、右各法条が、純粋の意味における限時法でないことは、それの有効期間を法令自体の中であらかじめ定めていないことによっても窺い得るばかりでなく、実質的にも限時法的性格を具有するものとは考えられない。

けだし、限時法は一般には主として一時的異常の事態に対処するために定立される臨時法規をいうものと解されるが、道路交通の取締に関する道路交通取締法、道路交通取締法施行令、道路交通取締規則等一連の取締法規は、右法一条に明示する如く、道路における危険防止及びその他の交通の安全を図ることを目的とするのであって、これら法規の目的とする道路交通の安全は、一時的必要性に因るものではなく、むしろ恒久的の必要に基づくものといえるからである。

むろん、交通機関の発達、各地方における交通事情の推移、危険度に対する取締目的からの評価の変動等に連れ、時を追って、その規定内容に多少の改廃が施されるであろうことは免れないところであるが、そのことは、その他のあらゆる法規にも内在する通有性であって、ひとり本件取締法規のみのもつ特有性であるとはいえない。

ことに本件における旧新潟県公安委員会規則の改正は、規則自体であらかじめ定められていた失効期間が到来したとか、その期間において必要とした取締事情が消滅したとかの事由に由るのではなくて、むしろ、第二種原動機付自転車というものの性能の発達(主として排気量の増大)により、その危険度に対する取締目的からの評価が変更したに因るものと解されるのであって、一般法規の改廃の場合となんら区別すべきところはない。

しかも、これら取締事情の変更は、客観的に常に明白な形をとって現われるのではなく、専ら合目的的な(従って相対的な)行政官庁の認識と判断との中に微妙な形で現われるのであるから、当該事情の消滅時期の近づくに連れ、刑の廃止を予想して、違反行為の激増するような事態は全く考えられないし、またあらかじめ有効期間を法定しておくことも許されないのである。

このような性格をもつ法規までも限時法ないし限時法的性格を有する法規と解するが如きは、限時法に関して明文を欠く現行刑法の下において、濫りに限時法の観念を拡張するものであり、罪刑法定主義ないし法的安全という見地から許さるべきではない。

以上のような、いずれの点からしても、わたくしは多数意見に左袒することはできず、原判決は破棄を免れないものと思料する。

(裁判長裁判官 横田喜三郎 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 河村又介 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己 裁判官 河村大助 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 奥野健一 裁判官 高橋潔 裁判官 高木常七 裁判官 石坂修一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例